東トルキスタン世界同日開催デモ

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平和の祭典と言われるオリンピックですが、自由も平等も存在しない中国が北京オリンピックを主催します。オリンピックを招致するときに中国政府は、人権の改善を約束しました。しかし東トルキスタンではその公約と全く逆に、中国政府による様々な弾圧が激しさを増しています。このような中国政府のやり方に抗議するため、世界ウイグル会議が呼びかけにより、世界各国のウイグル人組織が抗議デモを行ないました。当初は東トルキスタンに聖火リレーが入る6月25日に予定されていましたが、突然のリレー日程変更により、各地で日程が異なっております。日本やEU本部などでは当初の予定通り6月25日に行なわれました。
 
日本では東京都港区六本木の、中国大使館のすぐそばでデモを行ないました。
戦後の日本では初開催でしかも平日ということもあり、見込みでは50人もいけば上出来だと思っていたのですが、倍以上である130人(警察発表)もの人数が集まってくれました。
デモの主催は世界ウイグル会議「日本ウイグル協会」です。イリハムさんはこれまでは世界ウイグル会議の日本代表でしたが、先日誕生した日本ウイグル協会の会長にもなられました。
 
集合場所である三河台公園で午後1時から開会式を行いました。司会進行を上薗さんが務め、最初のスピーチを主催者のイリハムさんが行ないました。
「たくさんの方が集まって私達の活動を応援してくださって感謝している。中国政府はオリンピック開催をするにあたり、人権の改善を約束したにも関わらず、私達の扱いは益々酷くなっている。自分の土地に石油など天然資源がたくさんあるのに、仕事をするために中国の都市部へといかなければならない。特に18~25歳の未婚の女性達がたくさん連れ去られている。大学や専門学校を卒業しても5%の人しか仕事に就けない。ウイグル人の子供達は学校で自分達の言葉ではなく、中国語で習わなければならない。私達は平和的に自決権を求めて活動していく。参加した方々のこれからの応援をよろしくお願いする。」
 
その後台湾研究フォーラムの永山秀樹さんがスピーチをしてくださいました。
「私は東トルキスタンの旗が大好きであり、素朴で清らかで力強く、ウイグル人の善良さを現していると思う。それを強く感じたのは、長野での聖火リレーのときに、赤い旗:闘争の色であり邪悪さの色に対して、青い旗を見たときである。何故彼らはこの青い旗で、赤い旗に対峙しなければならないのか、それは民族の尊厳・存亡が危機に直面しているからである。そのときに東トルキスタンの旗を持った日本人もたくさんいたと思うが、彼らに敬意を表したい。何故日本人が彼ら外国人を応援するのか、これは台湾を応援する我々にも同じことだが、日本人は利害関係を超えた価値があると思ったところに協力する人々であるからだと思われる。私達は彼らを応援し、むしろ彼らの抵抗の精神を学び、そして日本人はウイグル人を応援しているというメッセージを送ることができればと思う。」
 
また、ずいぶんと以前からご自身のブログで東トルキスタンについて扱ってきて下さった荒川区議の小坂英二さんがスピーチしてくださいました。
「日本国民として東トルキスタンの人々にお詫びをしなければならない。チベット、東トルキスタン、南モンゴルに対して弾圧を行なっている中国に対して3兆円を越えるODAを供与し、企業が技術移転したものが軍事利用され、そして日本のビール会社のホップの工場は、東トルキスタンを制圧している軍隊が運営している。また、マスコミがまともに報道しないため、日本国民が真実を知ることが出来ない。日本は明らかに間違っている、そして間違いに気付くように皆に訴えていかなければならない。今回は東トルキスタンを支援しようという人々が集まり、多くの人に伝えていける機会ができて本当に良かった。6月25日は将来、東トルキスタンのために日本人が集まった記念すべき日として記憶されるよう望む。イリハムさんや応援する人々への敬意を表すると共に、私も東トルキスタンについて言葉を発していきたい。」
 
日本ウイグル協会の顧問に就任された白石念舟さんは、十数年に渡り日本に来たウイグル人の生活などを支援されてきました。全部で1500人くらいの面倒を見てきたそうですが、もう政治的な活動をしていかなければ、ウイグル人が民族として滅びてしまうという、その決断により出てきたのだと思います。今回のデモの申請やマスコミ、政治家などへの働きかけをしてくださいました。
「1985年からウイグル人の日本への留学が始まり、現在では700人位のウイグル人がいる。今回のデモには2~3人のウイグル人しか参加していない。彼らはこのような活動に参加すると、地元に帰ることができなくなり、更に向こうに残した家族にも迷惑がかかる。そのため最初の留学生のときからずっと、だれも表に出て活動しようとしてこなかった。しかし昨年ラビア・カーディルさんが来日されたとき、イリハムさんが通訳を務め、そしてもう帰らないという覚悟の元、表に出て活動しようと決意した。彼を支援して頂きたい。」
 
開会式の最後はSave Tibet Networkの牧野聖修さんです。東トルキスタンチームが今まで何度か参加させて頂きましたが、今回は私たちが先生に協力して頂くことができました。
「今年の3月21日と5月6日にチベット支援のデモを行なったときに、東トルキスタン関係者に参加・協力してもらえたことに感謝したい。中国共産党政権の支配の下に自由と人権を侵害されている人々は、民族、国境、立場を乗り越えて強く連帯していくべきだと考える。この連帯の輪が大きく強くなっていくようにしたい。私はリトアニアでの第2回チベット支援の世界大会のときに、一人の東トルキスタン人と友人になり、彼は独立のために活動しているが、活動していることが知られてしまったらもう二度と会うことはできないだろう、しかし命をかけて東トルキスタン支援を叫んでいきたい、と言っていた。その後15年になるが彼とは未だに会っていない。
今回のデモで見られるように、日本でもこのくらいの活動ができるくらいに、東トルキスタンの関係者が力をつけてきていることを喜んでいる。
政治犯として50万、核実験の被害者として70万以上の人が犠牲になっていると聞く。さらに女性が強制移住されている。歴史上こんなにも酷いことが許されるはずもない。人間はどこで生まれようとも幸せになる権利があるが、中国政府は自分達の政権の都合に合わない人々をあちこちで抹殺している。
中国で命と自由と民主主義をもう一度取り戻すために、連帯をして共に戦って行こうではないか。」
 
1時半に予定通りにデモに移りました。130人の参加者は、フリーウイグル、フリーチベット、フリーモンゴルのシュプレヒコールを叫びながら行進しました。デモ隊の先頭に居た方は、手錠に紙の帽子、目隠しという格好で、ウイグルの政治犯役をしていました。日本人には馴染みがないため、良く分からなかった方も多かったようです。合計で60本程度の東トルキスタン国旗とプラカード、黄色い横断幕でデモ行進し、六本木の方々にアピールしました。
沿道で風船と折鶴、チラシなどを配ったのですが、結構受け取ってくれる人が多かったようです。まあセレブなママ達が、子供が欲しいというのを遮って、冷たい目で拒否するということもあったようですが。
デモは1.5km程度の道のりでしょうか、なんか想定していたよりもずっと早くゴールである笄公園に着いてしまったようです。歩いたのは30分程度であり、アピールし足りない、物足りないという方も多かったようです。
 
 デモの様子

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デモの様子の動画

 
笄公園で閉会式を行い、最初に脱北者の支援をしてこられた三浦小太郎さんからのスピーチがありました。
「東トルキスタンについてお話させていただきたい。そこに住む人たちはトルコ系の民族であり、中国は彼らをテロリストと言っているが、この土地には仏教が伝わってきてたくさんの仏教遺跡として残され、さらにキリスト教、イスラム教も伝わってきた。今ウイグル人たちが信仰しているこのイスラム教の人々は仏教遺跡を壊してはいなかった。文化大革命で壊されたのである。
オスマン・トルコ帝国でもユダヤ人やアラブ人がそれぞれの文化を花開かせてきた。そして今もトルコはイスラム教と政治とをしっかりと分けて、日本が東アジアの近代化の先駆けとなったように、トルコもイスラム社会の先駆けとなっている。
中国政府は以前であれば共産主義によって他民族の文化を破壊してきたが、今は拝金主義によって他民族の文化を壊している。違う文化を受け入れてきたトルコという存在をを私達はきちんと押さえておかなければならない。」
 
次にモンゴル自由連盟党の副党首であるダシさんからのスピーチがありました。
「私達モンゴル人とウイグル人と中国の中で共通の運命にある。南モンゴルとは現在内モンゴル自治区として支配されている地域である。中国共産党に支配されてから60年の間にものすごい弾圧と文化的な迫害を受けてきた。かつてモンゴル人は外モンゴルも内モンゴルも共に満州帝国に属していた。しかしモンゴル人はかなりの自治権をもっており、満州皇帝からも尊敬されていた。清朝300年の間モンゴル人の共通語はモンゴル語であった。
しかし中華人民共和国になってから、学校で強制的に中国語を教えられ、今では中国領内のモンゴル人600万のうち200万人がモンゴル語をしゃべれなくなっている。今でも3000人の子供が漢人の学校へ転校している。このままいけば100年経たない内に内モンゴルからモンゴル人が消滅してしまう。これは独立というよりも民族存亡の問題である。ウイグル人も同様に民族的な弾圧と文化的な浄化政策を受けている。我々の戦いに日本人からの支援をこれからもお願いする。」
 

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その後、中国大使館にイリハムさんら5人が抗議声明文を届けるために出発しました。
それを見送ってから、旗の回収や販売、あとは次回の東トルキスタン主催の行事案内が欲しい方へは名簿への記入お願いなどなど行ないました。また、名も無き市民の会のデモによく参加されている方が募金箱を作ってきてくださったので、それを持って参加してくださった方々を周って募金のお願いしました。今回の旗の売上はイリハム応援団へ、募金で頂いたお金はこのデモの経費に充てたいと思います。ありがとうございました。
中国大使館前に行くのは、同時に5人までという「配慮」があるそうです。中国大使館に抗議声明分を届けたイリハムさんら5人は無事に帰ってきました。閉会式のときにはたどたどしかった抗議文の読み上げも、大使館前では堂々としており、とてもよかったそうです。
 
抗議声明文を読み上げるイリハム氏

 
6月中旬に世界ウイグル会議副主席のセイット氏が来てから、日本ウイグル協会が成立しましたので、実質の準備などは日本人が行ないました。デモの申請や、当日の準備、企画、司会やシュプレヒコールのリードなどほとんどをイリハムさんを交えて日本人サポーターが行ないました。
日本人サポーターにとっても始めてのデモ主催でしたので、どのくらいの人数になるか、どんな流れでデモが行なわれるのか、どのような事態が想定され、それにどう対処するのか、などなど全然予測がつきませんでした。前日までにお願いしていたスタッフは総数15人、まあ50人程度のデモなら大丈夫だろうとの予測で役割を分担しました。
しかし、当日は手間取るだろうと予想していたところでは大して時間がかからず、予想していなかったところで手間取ることが多かったです。そのため開会式のときにはスタッフは裏でかなりごたついていました。
また、予想以上の人数の参加により、デモ隊の後ろの方に声が届かなかったという問題がありました。シュプレヒコール係を途中に入れる予定もなく、しかも現地で名も無き市民の会の方が名乗り出てくれたのにも関わらず、その方にシュプレヒコールの一覧を書いた紙を渡すことができませんでした。
色々と次回への課題のあるデモであり、参加くださった方々にはご迷惑をおかけしました。
僕自身今年の3月がデモ初参加でいきなりの企画担当でしたし、スタッフの中にはデモ慣れした人はいるものの、デモの企画や主催は始めてという人ばかりでしたので、とにかく初めてづくしのデモでした。それでもなんとか形にすることはできたようです。
  
スタッフの方々、また当日朝に来て頂いて飛び入りでスタッフになっていただいた方々、お疲れ様でした。
平日昼間で130人の参加ですから、次回やるときはスタッフを大幅に増やさないといけません。
北京オリンピックが行なわれる前にもう一度、週末にデモが出来ないか検討しておりますので、今回参加できなかった方々も次回はよろしくお願いします。
 
デモ終了後アメリカの世界ウイグル会議のラビアさんの周囲からの連絡があり、
同日行なった、欧州連合議会本部(ベルギー・ブリュッセル)で行なった抗議デモが、ラビアカーディル女史も参加し、更にヨーロッパ諸国に呼びかけてウイグル人が200人集まったそうです。
そして、世界ウイグル会議副主席のセイットさんが来日されて日本ウイグル協会が成立し、まだ活動が本格化していなかった&準備期間がそれ程長くなかったにも関わらず、150人(新聞発表)も日本人が来てくれたことにとてもびっくりしたそうです。
最初の報道がAFPでフランスで報道され、それ見てすぐ電話がかかって来たらしいです。
想像していた以上の人数にびっくり、感激したのは、主催者やスタッフだけでなく、世界ウイグル会議の上の方たちも、ということのようです。
次はもっとびっくりさせてみましょう。
 
 
以下、資料としていくつか。
 
 
日本ウイグル協会声明

2008年6月25日

6月25日に予定された北京オリンピック聖火リレーは急遽6月17日に変更され、完全な軍事管制の下で東トルキスタン(所謂“新疆ウイグル自治区)を通過した。 ウルムチやカシュガルでは沿道や式典会場を埋めたのは学校や職場単位で組織された人たち。一般市民には「外出せずテレビで見るように。ベランダや窓から見てもいけない」との通達があり、沿道への立ち入りも禁じられた。沿道だけでなく、ルート外のウイグル人が集中して住む地域にある市場や駅周辺の商店やデパートも当局の指導で16日夕から夜にかけて閉店時間を早め、リレー終了まで営業しなかった。
本来、オリンピック大会およびオリンピック聖火リレーは平和を象徴するお祭りであるべきだが、東トルキスタンでは中国共産党一党独裁政権の支配能力の大展示ショーになった。要所での所持品や身元チェック、至る所に配置された全武装の狙撃兵、外出禁止令によって一歩も外に出られないウイグル人。東トルキスタンで行われた聖火リレーはこの地域の主人公であるウイグル人に対する中国の植民地支配体制を完璧な姿で世界に見せてくれた。
中国政府はオリンピックの安全防備を口実に、数千人ものウイグル人を何の法的手続きもなしに東トルキスタン各地の強制収容所や刑務所に入れている。外国のメディア関係者は一切ウイグル人と接触できないよう、公安関係者に管理監視されている。すべてのウイグル人は絶対に外国人と接触しないよう警告されています。
このようなすさまじい国家統制に対し、ウイグル人は平和的に様々な形で抗議している。しかし、中国政府はウイグル人の要求を善意をもって聞き入れるところか、逆に、ウイグル人の全ての要求、不満、抗議を中国国家体制に対する反逆と見なし、減給、職場追放、家宅軟禁、移動禁止、投獄、公開裁判、秘密裁判、公開処刑、暗殺というような国家によるテロ手段を用いて、徹底して弾圧している。その一方で、オリンピック開催を利用し、国際社会には中国の支配下にあるウイグル人を含む全ての民族は大同団結しているようなパフォーマンスを演出している。
このような卑劣な中国政府のやり方に対し、われわれ在日ウイグル人は世界ウイグル会議の呼び掛けに応じ、日本人の皆様と一緒に、第二次世界大戦以降始めて、日本でデモを行い、抗議の声をあげている。われわれは日本の国民および日本政府に対し、中国のウイグル人絶滅計画および東トルキスタンに対する植民地支配を強く非難するよう要請する。また、われわれが民族自決権に基づいて行っている全ての運動を支持し、支援するようお願いする。
われわれは中国政府に対し、オリンピック憲章を守り、国際社会に対する約束を実行するよう要求する。
われわれは中国政府に対し、中国の憲法を守り、ウイグル人に本来約束されている高度な自治権を確実に与えるよう要求する。
われわれは中国政府に対し、適齢期のウイグル人若い女性を強制的に大量に中国本土に連行し、奴隷工場で働かせる政策をすぐに中止するよう要求する。
われわれは中国政府に対し、ウイグル文化を徹底的に潰すことを目的とした中国の教育制度を改め、強制的な中国語教育をすぐに中止し、教育の権利をウイグル人に返すよう要求する。
われわれは中国政府に対し、東京大学留学生トフティ・トゥニヤズさんを含む全てのウイグル人政治犯をすぐに釈放するよう要求する。

以上

日本ウイグル協会
 
 
このデモは東京新聞が当日の夕刊で、報道してくれました。
 
東京新聞 2008,6,25夕刊
中国の弾圧抗議ウイグル人デモ
都内で亡命組織結成

 中国からの亡命ウイグル人の組織「世界ウイグル会議」(本部・ミュンヘン、約20万人)の日本代表部「日本ウイグル協会」(イリハム・マハムティー会長)
が結成され、東京都内で25日、中国政府によるウイグル人弾圧に反対する日本で初のデモを実施。支援の日本人を含む約150人の参加者らは、
「中国の民族浄化を許すな」と大書した横断幕を掲げ、「人権不在の(北京)五輪反対」などと訴えた。
 在日ウイグル人(約800人)の一部も参加したが、中国当局に”マーク”されるのを恐れ、マスクで顔を隠す人もいた。
デモの後、代表者が弾圧に抗議する声明文を中国大使館に届けた。


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