偉大な著作

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 「トルキスタン」とは「テュルク人の土地」を意味するペルシャ語である。この地域をテュルク化し、イスラーム化するのに大きな貢献をした国がカラハン朝である。
 モンゴル高原に繁栄していた遊牧ウイグル王国の滅亡後、その亡命者の一部が移動した先がカルルク国であった。このカルルク国を前身として成立したのがカラハン朝である。タリム盆地の西半部を支配し、中央アジアをテュルク化していく主体となった。
 また当時の東トルキスタンは、イスラーム以外にも、仏教やマニ教、景教、ゾロアスター教など、さまざまな宗教があったが、イスラーム化を決定付けたのはカラハン朝であった。イスラームの受容は、カラハン朝の初代カガンの孫にあたる3代目、サトゥク・ボグラ・ハンによって行われた。

 このテュルク的イスラーム文化の先駆であり、また最も偉大な作品であるのが、ユスフ・ハス・ハジブの「クタドグ・ビリク(幸福になるための知恵)」と、マフムード・カシュガリーの「ディーワーン・ルガート・アッテュルク(テュルク語大辞典)」である。

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ユスフ・ハス・ハジブ肖像

(c)S.E.T.P,2007

 バラサグンの名門に生まれ、後に文化の中心地であったカシュガルに移り住んだ。若い時に高い教育を受けて、豊かな知識を得た。1069~1070年にかけて書き上げた長詩「クタドグ・ビリク(幸福になるための知恵)」を、当時の支配者であったタブガチ・ボグラ・ハンに献呈し、「ハス・ハジブ(信用できる侍従大臣)」の称号を賜った。
 この長詩は君主のあるべき姿を説いた教訓書であり、主要な登場人物は正義・幸福・知恵・終末の徳目を擬人化したもので、それら登場人物の独白や討論の形で、政治や経済、軍事、法律などの社会問題について述べられている。芸術的な価値も高く、テュルク語の文学史上だけでなく、カラハン朝研究の重要資料でもある。
 ユスフ・ハス・ハジブは1085年に死亡し、カシュガル郊外に埋葬されたが、河川の氾濫を避けるため現在の位置に移された。

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マフムード・カシュガリー像

(c)S.E.T.P,2007

 カシュガル近郊で生まれ、中央アジアの各地を流浪したのちに、セルジューク朝の首都バグダートにおいて「ディーワーン・ルガート・アッテュルク(テュルク語大辞典)」を書き上げ、バグダートのカリフ、アル・ムクタディーに献呈した。著者はアラビア語の文法に精通しており、これをテュルク語の分類にも適用して辞典を書き上げた。この辞典は8編からなり、項目数は7500を数える。単語の各項目ではアラビア語による説明のほかに、民謡や格言なども付け加えられている。
 テュルク諸語だけでなく、歴史や文学、人種、民俗、社会なども載せられており、この辞典なしにテュルク学を研究することはありえないと言われるほどである。
 マフムード・カシュガリーは老後カシュガルに戻り、死後は生地であるオパル郷(カシュガルから西45kmにある)に埋葬された。


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