独立記念行事2005

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東トルキスタン独立記念行事・東京大会
平成17年11月13日
東トルキスタン亡命政府日本名誉領事館
殿岡事務所
    
式次第
    
第一部 東トルキスタン独立記念日行事(約30分)
1.開会の辞 殿岡事務所代表・殿岡昭郎 氏
2.日本国旗敬礼
3.君が代斉唱
4.東トルキスタン国旗敬礼
5.祝辞 衆議院議員・松原 仁 氏
6.挨拶 東トルキスタン亡命政府日本名誉領事・佐藤なぎ子 氏
7.祝辞 内蒙古人民党日本代表・エンフオチル・フビスガルト 氏
    
第二部 講演(各30分程・計1時間半)
1.東トルキスタン問題の概要 評論家・安東 幹 氏
2.「中華民族」という幻想 評論家・三浦小太郎 氏
3.東トルキスタン問題と日本及び日本人 政治学者・殿岡昭郎 氏
    
第三部 懇親会(約1時間)
1.乾杯
2.閉会の辞

第一部 1.開会の辞  殿岡事務所代表・殿岡昭郎 氏 bookmark

本日11/13、日本と同日にアメリカでも記念行事が行われ、ノーベル平和賞候補になったレビヤ・カディール女史やダライ・ラマ法王も参加されるとのこと。
東トルキスタンの人々は地球上で最も弾圧されている民族である。また講演を予定していたラビア・トフティさんについてだが、ビザの期限が切れるため延長の申請を出していたが、法務省がこれを拒否してきた。日本国内の世論を喚起し、それをバックにしてこれからも頑張っていきたい意味もあって、彼女は講演を望んでいた。しかし、中国当局がラビアさんの中国の実家に押しかけて、講演を中止するよう脅しをかけてきた。家族の身に危険が迫る中、無理に講演をお願いすることはとてもできず、ラビアさんの判断にまかせることにした。(結局ラビアさんの講演は中止となり、彼女は会場にも来られなかった。)
日本人が東トルキスタンを支援することは人道的な援助という面もあるが、同時に中国の脅威への対抗であり、この意味では日本の安全確保のためでもある。

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第一部 5.祝辞 衆議院議員・松原 仁 氏 bookmark

尖閣諸島、東トルキスタンの問題に、中国の覇権主義が表れている。これへの対抗のためにも圧力を受けている国々・地域との連帯をすすめていかなければならない。日本が可能なことについては、手を差し伸べていかなければならない。

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第一部 6.挨拶 東トルキスタン亡命政府日本名誉領事・佐藤なぎ子 氏 bookmark

最初にレビヤ・カディール女史からのメッセージを読み上げる:

東トルキスタンの人々は、自分の故郷で囚人のような暮らしを強要され、その民族や民族性は抹殺されようとしている。私は逮捕されるまでは中国国内で7位の資産家であった。ウイグル人のための活動を始めたために逮捕されたが、後にアムネスティなどの国際人権団体などの活動のおかげで、先日解放された。現在は世界中で東トルキスタンの人々のために活動している。もし今日ダライ・ラマ法王猊下と会うのでなければ、日本の記念行事に参加していただろう。

今回のラビヤ・トフティさんの講演は中止になってしまった。今後堂々と講演できるように下支えしていきたい。そして東トルキスタンのことを周囲の人に知らせて欲しい。

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第一部 7.祝辞   内蒙古人民党代表・エンフオチル・フビスガルト 氏 bookmark

外蒙古へ逃れ、現在は某大学の留学生という立場である。内蒙古の人々もトフティさんと同様に、無実の罪でつかまる人がおり、決して人事ではない。
彼が早く開放されることを求めて活動していきたい。内蒙古、チベット、東トルキスタンで連携していきたい。

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第二部 1.東トルキスタン問題の概要 評論家・安藤 幹 氏 bookmark

共産主義は戦争でもないのに一億人もの人間を殺してきた、とんでもない思想である。
今年中国はウェブページ上で「新疆」誕生50周年のお祝いをし、分離不可の地であることを内外に示すキャンペーンを張っている。
新疆という言葉の意味は、中国語で新しい領土という意味なので、今後、東トルキスタンの呼称を使いたい。

東トルキスタンはかつてのシルクロードの舞台であり、3つの山脈と、それぞれの山脈に挟まれた盆地からなる、厳しい自然環境の地である。
ウイグル人は遊牧から定住に移行した民族であり、優れた独自の文化を持っていた。例えば鍼治療や文字である。ウイグル族固有の文字は3種類あったが、そのうちの一つがトルコ系言語の文字の基本となった。
東トルキスタンの民族の構成はウイグル族と漢族が多くを占め、他にもカザフ、キルギス、回族、タジク、モンゴル族などがいる。中華人民共和国成立以降に、大量の漢民族の流入があり、ウイグル族の文化や歴史などが抹消されようとしている。元々漢族は人口の数%に過ぎなかったのが、現在では半数近くを占めるまでになっている。
中国が東トルキスタンを手放さない理由は、地下資源とロプノールの核実験場のためである。地下資源については地域内で採れる石油、ガス、石炭は、国内の生産に占める割合がそれぞれ1/4、1/3、1/3にもなる。また金、銀、鉄も豊富であり、最近では銅の鉱床も見つかった。また東トルキスタンは核実験場だけでなく、核廃棄物の投棄場にもなっている。処理場ではなくて投棄場である。付近の住民に奇形児が生まれているとの報告もある。

つい先日出されたアメリカ政府の中国委員会は年次報告書で、中国政府が公言していることに反して、国内の人権の取扱に改善は見られないと報告している。
中国政府は東トルキスタンでの歴史教育を完全にコントロールしており、自分たちの都合の良い歴史を教えている。学校教育は数学や科学のような実際の学問よりも政治教育に力が入れられている。
学校教育で使用される言語は中国語で統一され、小中学校も中国の学校へ統合された。学校の教師が足りないにも関わらず、中国語が出来ない教師は解雇された。またウイグル人の中でも高学歴な人々は強制的に他の地域に移され、東トルキスタンのために働けないようにされている。
実際に話し言葉として使う人がいないという理由で、アラビア語の教育も禁止されてしまった。コーランはアラビア語で書かれており、実質はコーランを読めなくするための措置ともいえる。また宗教を単なる文化・習慣として取り扱うことを強要し、宗教として教えることを禁止している。

中国共産党のまやかしには次のようなものもある。

・ウイグル人の不満は経済格差によるものであり、豊かになれば独立など志向しなくなる。
・ウイグル人は、先進的共産主義人民(漢民族)の指導によって幸福が得られるのであって、漢民族の大量の移民はこのためである。
・資源は国家のものである。そして国家は人民のものである。よって資源は人民のものである。

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第二部 2.「中華民族」という幻想 評論家・三浦小太郎 氏 bookmark

本来なら東トルキスタンの国歌を流したかったが、レコードなどの形になっていない。代わりに1992年にトルコで宣言された独立決議文を読み上げたい。

(1)母国は東トルキスタンである。
(2)国旗について。
(3)中国が主張する偽の歴史観を否定する。
(4)独立によってのみ自由が得られる。
(5)内モンゴル・チベットと連携する。
(6)人権・宗教の自由を願う全世界の人々に、この運動への協力を求める。
(以降講演時間の都合省略された)

まず、中華民族という概念についてだが、これは近代になってからできたものである。辛亥革命を成功させた孫文の「大漢族主義」が先駆けである。それを引き継いだ蒋介石の「中華大民族」というイデオロギーは、当時戦争をしていた日本への対抗のために打ち出されたものである。この中華大民族とは、いろいろな民族が不断に連携して共通の民族として「中華民族」の歴史を形成してきた、という考えである。清も中華民族の国家であり、その継承国家である中国は、清の版図をそのまま継承すると主張している。実際に清から独立できた国は外モンゴルのみである。
1930年代のこの地域は、ほぼ独立に近い軍閥の盛世才政権が支配し、親ソ連、親中国共産党を政策としていた。しかし独ソ開戦以降のドイツの進撃を見て、1942年には一気に国民党寄りの政策をとるようになった。以降、東トルキスタンは数十万の国民党軍が駐在することになり、これに対しての民衆反乱「三区革命」が起こった。これは武装闘争を伴う独立運動であり、雪崩を打って軍閥政権は崩壊することとなった。実際にはこの民衆反乱にはソ連からの支援があったようである。
1944年11月12日東トルキスタン共和国が成立する。東トルキスタンの民衆とソ連軍、国民党による三者の協力によって独立が達成された。民衆は大別して、宗教と伝統を重んじるイスラム派と、左派的な近代化派とに分けられる。ソ連や国民党から見たときにイスラム派は厄介な相手であることから、近代化派を主として共和国政権が設立されることとなった。
第二次世界大戦の終わりに際して開かれたヤルタ会談で、ソ連と国民党との間で密約が交わされた。ソ連によって迫られた外モンゴルの独立を認める代わりに、東トルキスタンは中国の領土であると主張し、これが中ソ友好同盟条約として締結され、確定されてしまった。
結局、大国間に翻弄される形で、1年少々で東トルキスタン共和国はなくなり、中国の新疆政権に合流されてしまったのである。1949年8月、国共内戦を制した中国共産党は、東トルキスタンの統治について話し合うとの名目で、東トルキスタン共和国政府要人を北京に呼びだした。しかし彼らが乗った飛行機はバイカル湖上空で爆発・乗組員全員死亡したとされ、ここに東トルキスタン共和国は名実共に消滅することとなった。

現在の中国政府のイデオロギーは費孝通の言った以下の3点で整理される。

(1)華民族とは諸民族の融合である。
(2)民族の多元一体化。
(3)全ての民族は中華民族として共存する。

つまり諸民族の自治までは認めるものの、自決は認めないということである。
これに対して現在の中国国内の民主派の主流は、諸民族の融合によってではないということと、諸民族を苦しめてきた事実をまずは認めることから、今後の中国のあり方を考えていくことを確認している。
共産主義による文化の破壊は、文化大革命として行われてきた。しかし現在でも改革解放政策によってもたらされる拝金主義によって、少数民族の文化は破壊され続けている。大きな暴動も数度おきているが、当局によってテロというレッテルを貼られて処理されている。
我々が対中国の戦略を練るには、このように中国国内の民主派の人々との連携も重要になっている。特に自由主義経済が民主主義の下でのみ可能であることを確認しておかなければならない。またオリンピックの基本思想である「諸民族の尊重」が全くされていない国が開催国となることへの懸念の表明もしていかなければならない。現在日本政府は中国との経済関係のみを重視しているが、これは中国国内の良心的民主派を(本当の意味での)反日家としてしまうであろう。
また東トルキスタン亡命政府に関しても、もし彼らに問題や誤りがあったときには、本当の友達として忠告していかなければならない。誤りや誇張を用いるやり方は、彼らを支援する人が恥をかく事になるとと認識してもらわなければならない。

最後にコーランから2節引用させていただく。

  • どちらの海からも真珠とサンゴが採れる
  • 生きとし生けるもの凡てアラーにひれ伏す。日によって影が移り行くように。

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第二部 3.東トルキスタン問題と日本および日本人  政治学者・殿岡昭郎 氏 bookmark

まず、多くの新しい若い方々がこの問題に関心をもって参加してくれたことが嬉しい。
私はタイに20年ほど滞在し、難民問題に関わってきた。ここで実際の難民に接することによって、日本で生活してきた自分に欠けているものに気が付いた。まずは国家の重要性である。難民キャンプには元王族や元貴族など高位の人も暮らしていた。多くの人が命を落としたが、幸運に亡命できた人であっても、彼らは難民生活を通して、自らの民族性を失ってしまうのである。また昼は自分たちの安全を守る軍隊が、夜には自分たちを襲う略奪者へと変わるのである。つまり国家を失うということは、自分と自分の家族の、自由と安全すら守ることができないことを意味すると分かったのである。それまでは政治と言えば自由と民主しか考えてこなかったのだが、民族性を失った人間は動物でしかないということを悟ったのである。
もう一つの難民について気が付いたことは、彼らは可愛そうな存在であると同時に、戦闘者であるということである。タイとラオスの国境付近でベトナム難民を集め育成し、彼らをベトナム国内へ対共産党工作部隊として送り込む育成機関があった。私はこの機関への物資の補給に8年間関わった。彼ら難民は同時に戦闘者でもある。

ここで東トルキスタンについての概要を説明したい。トルキスタンとは「トルコ人の土地」という意味であるが、このうち西半分をソ連が、東半分を中国が支配してきた。西トルキスタンはソ連の崩壊によって独立し、中央アジア諸国となった。当初、中国も同様に崩壊するものと思われていたが、実際には崩壊しなかったため、東トルキスタンは独立することができなかった。東トルキスタンの人々も独立を願うようになったが、この地域の地政学的重要性、豊富な資源などにより、中国政府はより激しい弾圧を彼らに行うようになった。
現在の中国で最後に残された民族の抵抗が、この東トルキスタンである。既に内モンゴル自治区は、人口に占めるモンゴル人の割合が2割程度でしかない。またチベットの亡命政府も独立から、高度な自治の要求へと変わってきている。つまりこの東トルキスタンを押さえ込めれば、中国国内の全ての民族問題を解決できたと言えるようになってしまうのである。

この東トルキスタン問題は、ただ単に被抑圧者を助けるということだけでなく、日本が日本のために取り組むべき問題でもある。中国の覇権主義はすさまじく、また対日工作には、日本国内の中枢にいる親中派を使って揺さぶりをかけ続けている。これに対抗して揺さぶりをかけようにも、中国の中枢には親日派がいないのである。それなら何を用いて対抗していくべきか?これが中国国内の少数民族問題である。
自らのアイデンティティと安全、自由のために戦う東トルキスタン、チベット、内モンゴルを助けていかなければならない。そして彼ら3者だけの連帯だけでなく、中国国内の民主家からの協力も得られてから初めてこの問題は解決へと向かうのである。

最後に、ラビア・トフティさんについてだが、ビザの延長が不許可とされてしまい、現在は出国準備期間となっている。夫が無実の罪で捕らえられている彼女を、日本の役所は無慈悲にも中国へ追い返そうとしているのである。このような冷酷な日本の役所を変えるには、世論を形成し、盛り上げていかなければならない。日本は中国と違って民主主義の国であるから、世論が盛り上がるならそれを実行せずに済ませることはできないのである。現段階で起こっており、これから確定化するであろうトフティさん一家の分断は、その原因の片側を日本が担っているのである。


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