東トルキスタンに自由と平和を


1.宗教及び祭り
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 東トルキスタンに住むテュルク系の人々の大部分は、スンニー派のイスラム教を信仰している。漢族が集住する地域(特に東トルキスタン北部)以外では、今でもイスラム教は日常生活の重要な位置を占める。

 中央アジアにある近所どうしのネットワークを「マハッラ」といい、これは東トルキスタンでも重要な生活基盤として存在している。政治、経済、社会など、さまざまな日常の問題が、こうした組織によって解決されてきた歴史がある。
 各マハッラの中心には必ずその地区のモスクがあり、日常的に礼拝が行われてきた。また、都市の中心部の大モスクでは、金曜日に集団礼拝が行われる。
 他国のイスラム教徒と共通する宗教的なしきたり以外にも、東トルキスタンの人々はイスラム教聖者の墓廟(マザール)に対する巡礼や崇拝なども行っている。イスラム教の原理から言えば、唯一神アラー以外を信仰対象とするマザールへの参詣は望ましくない側面も含まれる。しかし、今でも多くの人々がマザールに参詣しており、これはこの地域の独自性を示している。

 モスクで最大規模を誇るものは、カシュガルのエイティガール・モスクである。イスラム暦846年(西暦1422年)に創建され、何度かの修復拡張を経て、現在では南北140m、東西120m、面積16000uにもなる巨大寺院である。正門の高さは12m、左右の尖塔(ミナレット)は18mで、壁面には精密な文様が掘り込まれている。普段このモスクでは3、4千人がお祈りをし、金曜には1万5000人〜2万人が集う。ローズ祭やクルバン祭では6万人〜10万人にも達する。

 マザールで特に有名なものは、カシュガルのアパク・ホージャ・マザールである。アパク・ホージャ・マザールは、16世紀末のイスラム教聖職者で白山党のアパク・ホージャとその家族(5代72人)の陵墓である。創建は1670年で、最初に葬られたのはアパク・ホージャの父ホージャ・ユスフである。その後度々修復拡張され、1874年には中央アジア式イスラム陵墓となり、モスクなどが新たに建築された。一族の棺を安置する建物は、緑色のタイルを張り詰めた円形アーチの屋根をもち、四隅にミナレットが立っている。なお、乾隆帝の妃とされた一族のイパルハン(香妃)がここに葬られたということから、中国人はこのマザールを「香妃墓」とよぶ。

 歴史的に、東トルキスタンでは、清朝による征服〜中華民国期であっても、コーランの教えに基づくイスラム法が部分的に機能してきたと考えられる。しかし中華人民共和国によって支配されて以降は、イスラム法が禁止され、また宗教指導者の排除や宗教施設のもっていた寄進地の没収などが行われたことにより、社会の世俗化が強行された。
 1980年代の改革・開放以後、民族・宗教政策の変更によって、東トルキスタンの社会においてもイスラム教は復興をとげた。しかし1980年代後半以降は、宗教施設や指導者を登録制にするなど、当局による管理が強化されている。

 東トルキスタンの人々の日常生活は、イスラム教の5行6信が守られており、一日5回の祈りのほか、イスラム教の2大祭も行われている。

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