東トルキスタンに自由と平和を


4.ジュンガル帝国と清による侵略
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 ジュンガルとは西モンゴル族のオイラトの一部族が建てた国家であり、その本拠地はジュンガル盆地とイリ渓谷である。ジュンガルは「最後の遊牧帝国」と呼ばれ、この帝国を最後として、圧倒的な力を誇示していた遊牧騎馬民族は、歴史の表舞台から退くことになる。
 ジュンガル帝国3代目ハンのガルダン・ハンのときに、帝国はその支配域を大いに広げた。彼はチベット仏教の活仏(高僧の生まれ変わり)と認定され、幼少期をダライ・ラマ5世の下で過ごしたが、彼の兄である2代目ハンが殺された時に還俗し、ジュンガル帝国のハンとなった。ジュンガル帝国の支配層はチベット仏教を信奉しており、後に清と争うことになるが、これは宗教戦争的な側面があったといわれる。
 ガルダン・ハンはタリム盆地を制圧した時に、ヤルカンド・ハン国の君主を退位させ、黒山党のホジャとともにイリに拉致した。そのかわりに傍系であるアブドゥッラシードを傀儡のハンに立てて、白山党ホジャに実権を握らせた。このようにしてタリム盆地オアシス諸都市は、ジュンガル帝国に服属することとなった。
 モグーリスタン・ハン家は1697年に断絶し、白山党ホジャに汗位が移った。ハン位がチンギス・ハンの子孫から、マホメットの末裔へと移ったのである。このような、宗教的権威が世俗的権力を併せ持つ状態を、イスラム帝国以来他に例の無い「イスラム神聖国家」とする見方もある。

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