農耕と牧畜

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3.農耕と牧畜 bookmark

概況 bookmark

 東トルキスタンはすべての海洋から遠く離れた、ユーラシア大陸の中央部に位置する。
 北部にアルタイ山脈、中部に天山山脈、南西部に崑崙山脈があり、これらの山脈によって大きく2つの地域に分けられている。天山山脈より南側はタリム盆地で、その中央部にはタクラマカン砂漠がある。古来よりタクラマカン砂漠周縁部に点在するオアシスには都市が栄え、シルクロードの舞台として重要な位置を占めてきた。
 アルタイ山脈と天山山脈の間にあるジュンガル盆地は、南部に比べて降水量が多く、緑豊かな草原地帯が形成されている。
 海洋から遠く離れていることと、周囲が高い山に囲まれていることから、典型的な乾燥した大陸性気候となっている。
 年間降水量は非常に少なく、南部で5~80mm程度、北部は100~250mm程度となっている。また、降水量は標高によっても異なっており、このような地域と標高による降水量の違いが植生分布を決定している。日射量が極めて高いため、土壌からの水分の蒸発量は降水量を上回っている。このため塩害対策が重要な課題となっている。
 平均気温は夏で20~30℃に達するのに対し、冬はマイナス7~20℃にもなる。季節による気温差だけではなく、1日の中での気温差も著しく、20℃に達することもある。

農耕 bookmark

ハミウリ

(c)East Turkistan Information Center

 東トルキスタンの耕作地は、南部のタクラマカン砂漠縁辺部、北部のウルムチやイリ、アルタイなどのオアシス地帯を中心に分布する。小麦、ヒマワリ(油料作物として)、ワタ、とうもろこし、こうりゃん、甜菜(砂糖だいこん)、ごま、トマト、米などが栽培されている。また、東トルキスタンは果物の故郷と言われるくらいに、種類が豊富で良質なものが得られる。瓜(ハミ瓜として有名、いわゆるメロン)、スイカ、ぶどう、梨、イチジク、りんご、モモ、ザクロなどが栽培されている。トルファンのぶどう、アルトゥシュのメロン、グルジャのりんごなどが有名である。
 また利益率の良い綿花や油料作物、甜菜などの栽培が政府の主導の下、急速に進められている。しかしこれらの農作物の大半は漢族によって占められ、特に生産建設兵団が生産量の1/4~半分を占有している。

水の管理
 東トルキスタンは極端な乾燥と日射量により、水の管理が重要である。農耕は主にオアシス地帯で営まれてきた。オアシスは高山から平野への転換点となる、沖積扇状地上につくられたものが多い。
 扇状地の上部は水を得やすいが、大きな礫が多いため耕作には適していない。また下部(先端部)は土砂の粒度は小さいものの、地下水位が浅いため蒸発による塩類集積が起こりやすく、作物の栽培は困難である。そこで耕作に利用される土地は、扇状地の中央部に位置するものが多い。ここは地下水位が低いため、土壌の塩類集積が少なく、土砂の粒度も適度に小さくなっている。
 塩類集積防止のためには、地下水位を低下させることが有効であり、このために明渠や暗渠による排水、井戸の利用、深い根をもつ木の栽培などの対策が講じられてきた。
 農業用水としては河川水の利用が多く、これを小型のダムに貯水してから用水路に分水するなどして、農耕地への灌漑水路としている。
 地下水源の利用にも力が注がれており、特に有名なものとしてはトルファンのカレーズと呼ばれる地下水路がある。天山山脈の氷河の融解水は、トルファン盆地に入ると伏流水として地下を流れる。水量が豊富な山麓から直接集落まで流すために掘った地下水路がカレーズである。これは数十mごとに竪穴を掘って、そこから横穴を延ばしてつなぎ、長いものでは数十kmにも達する。トルファン盆地内には1000本近いカレーズが掘られている。

 しかし、漢族の大量流入、新疆建設兵団による土地の占有と集団農業化、鉱工業用水への転用、改革解放以後の経済効率のみの優先することなどによって、無制限な水利用が行われ、地下水が著しく減少した。カレーズは枯渇しかかっており、水質も悪化している。そして土壌表面は塩類集積が起こり、農地は荒廃しかかっている。飲料水の枯渇、農地の荒廃のために住民が移転せざるを得なくなった村もあり、放棄された村では砂漠化が急速に進行している。
 このように農耕地の立地と地力の維持、水源の確保など住民の努力によって築き上げられてきたものが、ここ数十年で破壊されつつある。

牧畜 bookmark

放牧

(c)East Turkistan Information Center

 東トルキスタンでの牧畜業は、伝統的に遊牧によって営まれてきた。牧畜に従事しているのは主にカザフ、モンゴル、キルギス、タジク族である。東トルキスタンの北部一帯から天山山脈にかけてはカザフ、モンゴル族が、南西部の天山南麓からパミール高原にはキルギス、タジク族が居住している。彼らは歴史的にこれらの地域で活動していた遊牧民の子孫である。
 遊牧による牧畜は、草原の生産量が低い土地を大移動することによって、広い地域全体で家畜の採食量と植物の生産量のバランスをとるものであり、ユーラシア大陸北部の草原地帯(ステップ)で広範囲に渡って営まれてきたスタイルである。
 また遊牧はスキタイからはじまると言われ、4000年にもわたる歴史をもっている。そして、その生活様式がほとんど変化なく続いてきていることからも、ユーラシアの草原地帯の自然条件に最も適したものであるといえる。

 東トルキスタンの遊牧は、標高差による植生の違いを利用して、季節ごとに草原を移動するものである。季節ごとの移動の様式は地域によって異なり、四季それぞれに異なった草場、春・秋共通と夏と冬の3つの草場、温暖期と寒冷期の2つの草場、の3種類がある。それぞれの季節ごとの草場は植生が異なり、単なる地力を維持するという目的以外にも、家畜の季節の体調に応じた餌の供給という意味でも有用である。さらに、転場による遊牧民自身の快適な生活環境の選択という面もある。夏は標高の高い草原、冬は日当たりが良く風をよけることができる山かげや砂漠、などが居住地として選ばれてきた。
 飼育されている家畜は、羊、牛、山羊、馬、ラクダなどであり、羊の数が最も多い。

 遊牧生活は、学校に通うことが出来ないなど教育上の問題があったが、定住化を進める政策などによって解決されつつある。しかし、この牧畜民の定住化が強制的に行われたということは、砂漠化の大きな原因となっている。
 半乾燥性の草原であるステップは、降水量によって植物の生産量が大きく変わる。古来より、この変動の問題に対する緩衝作用となっていたのは、遊牧地の移動地域選択による調節と、家畜の飼育頭数の調節とであった。
 しかし定住化が促進され、牧地がほぼ固定されてしまったことにより、移動地域選択による調節という緩衝作用が働かなくなってしまった。もう一つの緩衝作用である家畜の飼育頭数の調節であるが、これも経済性ばかりが優先されるようになり機能しなくなってしまった。歴史的に見て部族社会であった遊牧民は、部族全体で頭数を調節していた。しかし牧畜業の人民公社化を経た後、改革解放によって各個人の責任制:責任請負制とされたために、飼育頭数の減少が収入減に直結するようになってしまった。これが過放牧につながり、地力を奪い、砂漠化に至る理由となったのである。
 また草原の開墾という問題もある。もともとステップ地帯は降水量が少なく農耕には適していない。それにも関わらず大量の漢族や新疆建設兵団などによって、広大な草原が農地として開発され、また無計画な灌漑による塩害と相まって、不毛の大地が大量に生み出されてしまったのである。



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