東トルキスタンに自由と平和を


資源の強奪
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 1950年代からはじまった大躍進時代〜文化大革命期に、東トルキスタンの社会主義改造、つまりは中央への経済統合が進められていった。もともとの東トルキスタンの人々の土地は取り上げられ、農業の集団化、産業の国有化が推進されていった。
 このときに重要な役割を果たしたのが「生産建設兵団」である。もともとは東トルキスタンに侵入してきた人民解放軍の退役軍人を主力としたものであり、当然構成人員のほとんど全員が漢族である。生産建設兵団は共産党と軍隊、企業とが一体となった組織であり、国からは農地開墾と国境警備の責任が与えられてきた。その圧倒的な権力をもとにして、東トルキスタンの最も肥沃な耕地や放牧地を占拠し、貴重な水資源を支配して富を築いてきた。そして東トルキスタンの住民が、漢族の横暴に異議を唱えるときには、分離運動としてこれを弾圧する役割も果たしているのである。生産建設兵団は今でも総数250万の兵団であり、有事の際には直ちに戦力として機能する屯田兵としてその力を誇示し、巨大な経済力を維持している。
 資源や土地の収奪が第一の経済統合であるなら、改革解放以降の市場経済と漢族の大量移住は第二の経済統合と言える。
 改革解放、西部大開発などで、東トルキスタンへ移住する漢族を優遇することによって、大量の漢族の移住が現在も続いている。
 当初、漢族は油田が開発され、比較的降水量が多く豊かな牧草地が広がる東トルキスタン北部(天山山脈から北側)に偏って分布していた。南部であっても、新興工業都市部が主な居住地域であった。しかし市場経済の進展とともに、次第に南部、辺境部へと浸透しはじめている。
 ウイグル人の里といわれるカシュガルなどでも、近年の漢族の大量移住によって、ウイグルの生活や文化が破壊されている。シルクロードの町並みもまったく別のものに変えられつつある。そして1999年に開通したコルラ−カシュガル間の南疆鉄道によって、経済と文化の中国への統合がますます強化されている。

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