ラビアさん東京講演

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アムネスティ・インターナショナル 全国スピーキング・ツアー2007
私たちは、「テロリスト」じゃない。
~「反テロ」戦争と新疆ウイグルの人権~
ラビア・カーディルさん 東京講演
2007年11月10日(土)
於・ハーモニックホール
    
プログラム
    
15:30 開演・挨拶
15:40 新疆ウイグル自治区:その背景説明
15:50 ラビア・カーディルさん講演
16:50 休憩 *質問表受付
17:00 ラビア・カーディルさん/寺中誠アムネスティ・インターナショナル日本事務局長対談
18:00 アムネスティからのアピール/終了

 
アムネスティ・インターナショナル 全国スピーキング・ツアー2007
私たちは、「テロリスト」じゃない。
~「反テロ」戦争と新疆ウイグルの人権~
 

1.開会・挨拶 bookmark

2001年の911以降、「テロとの戦い」を名目に、世界中で人権の弾圧が行われている。東トルキスタンも同様の人権問題があり、これまでもアムネスティはこの問題を取り上げてきた。
 

2.新疆ウイグル自治区・その背景説明 (水谷尚子氏) bookmark

資料を配布しているが、詳細については後ほど読んでもらうことにして、簡単にその内容について説明する。

  • 東トルキスタン問題の背景。
  • 政治亡命したウイグル人で強制送還された人々について、アムネスティのまとめ。
  • アメリカの行っている「テロとの戦い」と世界で行われている 
  • ラビアさんの団体である財団ウイグル協会の下部組織、ウイグル人権プロジェクトの抄訳。
    など。

配布資料に書かれていないことで、在外のウイグル諸団体について紹介したい。
1930年代から40年代にかけ、東トルキスタン共和国の亡命者達がトルコやサウジアラビアで立ち上げた団体があるが、これは少数であった。
90年代に中央アジア各国が独立し、これに触発されウイグル人が組織を作りはじめた。さまざまな団体が個別で活動していたが、2000年代にはこれらの団体が集まって世界ウイグル会議を作った。
現在49団体を傘下置き、独立運動よりも人権問題であるとしてアピールするようになっている。これに賛同しない団体もあり、それはまた別個に活動している。

ここでラビア氏の夫であるシディク・ハジ氏の紹介が行われた。今回は彼も一緒に来日しており、ラビアさんの原稿作りなどを手伝っている。

3.ラビア・カーディルさん講演 bookmark

私は暗黒の世界で苦しむ民族の声を伝えるために日本に来た。自分の声を世界に伝えたくても伝えることができない民族の声を聞きに来てくれた来場者の皆に感謝したい。私の名前はラビア・カーディル、民族はウイグルである。
1949年から中国となった東トルキスタンは、中国共産党によって新疆ウイグル自治区とされ、中国の支配下にある。東トルキスタンはチベット、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタンと接している。
私は11人の子供の母であるが、今日は母親としてではなく、ウイグルの代表として話をしたい。私はアルタイの商人の家で生まれ、家族と共に幸せに暮らしていたが、13歳から不安定な生活を送るようになってしまった。結婚し6番目の子供を産んでからウイグル人を救うため商売をはじめ、成功を重ね中国で7番目の富豪となった。自分が経済力をつければ民族の役に立つと思っていたが、さまざまな地域の現実を見るにつけ、経済力だけでは彼らを救えないということを理解するようになった。自分のビジネスと共に、学校に寄付したり、孤児や貧民に経済援助しているうちに社会的な影響力が増していき、ついには中国共産党によって自治区政治協議会の一員として、自治区の代表として選ばれるようになった。私は政治家として企業家として中国の最高レベルにまで達したのである。このことでウイグル人の置かれている境遇についてより詳しく理解できるようになってきた。自分の目が世界に開かれていき、世界には民主というものがあることを知るようになった。
そもそも中国が新疆ウイグル自治区を設置したときには、ウイグル人を幸福にし、自由にし、民族の文化を保護し、民族自決を保証し、宗教も尊重し、教育や仕事も保証する、自然や天然資源はその土地の人々のために活用できるようにし中国は協力するだけであると言っていた。中国共産党の支配が始まった1949年の段階では漢人は人口の2%を占めるのみであったし、自治区として成立する際にはソ連の協力があったからこそ可能であったのである。中国からの移民を増やさないとも約束していた。
しかし、そのような約束は全て反故にされ、ウイグル人は地球上のどこの民族よりも酷い経験をすることになってしまった。経済は停滞し、人口は抑制され、言論の自由・表現の自由・移動の自由が制限され、そしてついには言語と宗教にまで制限が及ぶようになってきた。中国共産党がこの地域を支配した直後には、ウイグル人のことを「優しく、客好きで、心根の良い素晴らしい民族である」と評価していた。しかしその素晴らしいと言われた民族はどうなってしまったのか。一夜にしてテロリスト、国家分裂主義者、反革命主義者、犯罪人、野蛮人と呼ばれるようになってしまった。世界が発展しているときに、ウイグル人は後退してきたのである。
1954年からは富裕層や知識人が刑務所に入れられ数万人が処刑された。1957年からは多くの知識人が、1967年からはウイグル人の役人が、1987年からは現在は宗教指導者らが刑務所に入れられ弾圧を受け、処刑されるようになった。東トルキスタンにおける全ての就職口は中国からの移民に与えられ、豊かな天然資源は中国内地へ持ち去られ、その開発や運搬の労働力でさえウイグル人には与えられなかった。
このような酷い扱いを改善して欲しいと訴える人々は刑務所に入れられた。農民は日に3食の食事すらできず、10人の家族がいればその10人が一つの布団に寝るようなひどい有様であった。あの「優しく、客好きで、心根の良い素晴らしい民族」は、終始ビクビクして何でも言いなりになってしまう民族に変えられてしまったのである。
私はこのような酷い状況を何とかしたいと思い、前に出ることにした。子供を教育し、貧しい人を助けたいと思っていたが、色々な障害によってまともにできなかった。社会的な地位も与えられたが、この地位がウイグル人の犠牲の上にあるということに耐えられなくなった。そして中国の全国協議会でウイグル人の現状を報告し改善を訴えた。今置かれている民族の状況を良くしていかなければ不満が高まり、社会が不安定化し、大きな事件に発展すると中国政府に対して警告した。
1997年冬にイリで1万~1万5千人のデモが起きた。地域の集まりであるマシュラップが禁止されたことに対して異議を唱えるために始まったデモであった。暴力などを伴わない平和的なデモであったが、この武器を持っていない群集に対して中国政府は武装警官でもって当たらせた。407人がその場で銃殺され、千人以上の人がサッカー場に集められ消防車の放水を受けた。集まった若者は自由や言語、文化が尊重され、人間らしい暮らしを送りたいということを要求しただけなのに、政府はこれを弾圧したのである。
自治区政府は私達、人民政治協商会議の議員らを呼び、このデモは犯罪者による暴動であり、中国共産党が行った措置は正しかったと宣伝するよう要求した。自分の地位のためにこれに従ったウイグル人もいた。この事件では8千人が捕らえられ、トラックに乗せて市中を引き回され処刑場に運ばれていった。一家族で2~3人が同じ日に処刑されたというケースもあった。
私はこのような酷い扱いを北京政府に直接抗議した。「ウイグル人は土地も資源も、仕事さえ奪われてしまった。多くの漢人が移住してくるために、中国のほかの地域と同じような土地になってしまった。ウイグル人には平和と安定が必要である。しかし中国政府は大勢の若者を捕らえ刑務所に入れている。」
政府指導者はこの私の訴えを聞き、その場では改善の約束をしたのであるが、私が北京からウルムチに戻ったときに、私の全ての役職が解かれていることが分かった。そのときから私は政府の監視下に置かれるようになった。中国政府は、「あなたは愚かなことをした。あなたに経済力を与えたのも、社会的な地位を与えたのも中国であり、もし元の地位に戻りたいのなら政府に言うことに従うように。」と言ってきた。しかし私の経済力は自分の手で獲得したものであり、中国政府が与えてくれたのではない。
この時からウイグル人の境遇は益々酷くなっていた。今までウイグル人の老人らが「こんにちは。」と普通に言っていたものが、「お宅の息子は元気にしているか。」「逮捕されていないか。」が挨拶代わりとなってしまった。歴史家や文学者らも捕らえられるようになっていった。
このように、私は国内だけでウイグル人の境遇を変えるのは不可能であると悟り、アメリカの議員に対してウイグルの置かれている状況をまとめたレポートを渡そうとした。しかしこのことで、私も1999年11月に逮捕されることになってしまった。それまでの大富豪から一転、犯罪者として扱われるようになってしまったのである。
刑務所で過ごした最初の2年間は、真っ暗な部屋で暮らした。40日のうち1回だけ外に出してもらうだけで、それ以外は光の差さない真っ暗な部屋に座らせられ、ものを言うことも文章を書くことも、体を動かすことも禁止された。このような状況下で自分の意識を保てたのは、ウイグル人を助けるという信念であった。本当なら処刑されるはずであったのであろろうが、国際人権団体など国際組織の働きかけによって明るい部屋へと移ることができた。
あるとき看守に「お前が助けようとしている民族を見せてやろう。」と言われ、ある部屋に連れて行かれた。その部屋の両隣の部屋から拷問を受けている人間の声が聞こえたが、とても人間のものとは思えず、けもののような声であった。その声が大きくなったり小さくなったりした後に、私は部屋から外に出されたが、その時に隣の部屋で拷問を受けていた20~25歳くらいの若い男が血だるまになって連れ出されてきた。「お前が救おうとしている者の運命はこうだ。救える力があるなら救ってみろ。」と言われた。私自身が彼らと同じように拷問を受けた方が、ただ見ているだけであるよりもよっぽど楽だっただろう。
刑務所にいる6年間、私は笑うことも話すことも本を読むこともなく、じっと座っているだけであった。肉体的な暴行こそ受けなかったが、彼らは私を精神的に追い込もうとしていた。ある看守は扉の前の地面を指差し、「お前は死んでここに埋められる。そして私はお前の死体の上を通って扉を出入りするのだ。」と言った。また私の髪を可笑しげな形に切ったりした。中国人の看守は常に私を非人間的に扱った。「そんな酷い姿、人間とは思えない姿でどうする?」、「自分を救えずにどうやって他人を救う?」、「ウイグルの母はなんて美しい姿をしているんだ。」というような言葉を投げかけた。
しかしアムネスティ・インターナショナルなどの国際人権組織やアメリカ政府の働きによって、2005年3月に釈放され、アメリカのシカゴの空港に降り立つことができた。迎えに来ていたRFAの記者によって、私の声が始めて外の世界に発せられた。
2003年からウイグル語は学校で禁止され、幼稚園から大学まで中国語が使われるようになってしまった。大勢の子供達が教育を施すという名目で、東トルキスタン域外に連れ出されてしまった。
私には11人の子供がいるが、そのうちの5人が中国に残っている。中国政府は私の母性愛につけこんだ嫌がらせをするようになった。世界ウイグル会議の会長就任の話が出たら、新疆に残っている子供達が全て逮捕された。息子が拷問されているその声を国際電話を通して聞かされた。そのときに電話で会話したのは娘であったが、「いま弟達が殴られている。今引き倒された。死んだかもしれない。」と電話で話していた。そして最後に、息子の大きな悲鳴が聞こえたときに電話が切られた。2006年11月に世界ウイグル会議の会長に就任したその日に、2人の息子に有罪判決が出された。その他の逮捕されていない子供達や孫達も中国の監視下に置かれている。自分の子供達が今現在どうなっているかも分からない。しかし私はこの子供達のことで、今の活動をやめるつもりはない。私が刑務所から出されるときには、「5人の子供が我々の手元にある、下手なことはするな。」と中国に脅されていた。子供の一人は国家転覆罪で、もう一人は脱税で有罪とされた。私のビジネスを引き継いだ息子達は中国の厳重な監視下にあったはずある。息子達がビジネスを始める以前は、一人は医者で、もう一人はコンピューターエンジニアだった。脱税で捕まった息子に対しては、「お前の母親が脱税していたから、代わりにお前が逮捕されたのだ。」と言ったそうであるが、それまでに私は18回も模範的な納税者として表彰されていたのである。そして今、私はテロリスト呼ばわりされている。ウイグル人もテロリストであるとして世界中に喧伝されている。しかし私はペンと口によって平和的に解決を訴えているだけである。ウイグル人に安定を、自由を与えるよう働きかけている。ウイグル人の人権が改善され、ウイグル語で自由に話ができるようになり、刑務所にいる数十万人の政治犯が釈放されるようにしたい。
中国では、漢人に対してはそれなりの裁判が行われているが、ウイグル人の政治犯は秘密法廷で裁かれ、全く公平な裁判が行われていない。2004年にに新疆の書記長である王楽泉は、8ヶ月間で22団体から55名の政治犯を処刑したと笑顔で発表した。公式でこれだけの人数に上るのであるから、非公式ならどれだけの人数になるのか想像もできない。東トルキスタンの政治活動家は国外に亡命しているが、カザフスタンやウズベキスタン、キルギスといった、ウイグル族とは兄弟民族の国でさえ、SCO(上海協力機構)によって中国に協力するようになっており、ウイグル人の亡命者を中国に強制送還しているのである。中国政府は中国国内から逃げ出したウイグル人が政治犯であろうがなかろうが、全て刑務所に入れて刑罰を与えているのである。
私達の民族が置かれている状況はこのような悲惨なものである。もっと他にも、例えば若い娘達が強制移住させられている話もしたいが、またの機会にしたいと思う。
私はウイグル人の置かれている状況を日本に伝えるためにきた。日本は世界有数の経済大国であり、アジアでもっとも進んだ民主国家である。東トルキスタンにいる人々を自分のことのように、自分の家族のことのように捉え同情し、支援して欲しい。

4.ラビア・カーディルさん/寺中誠アムネスティ・インターナショナル日本事務局長対談 (水谷氏を交えて) bookmark

寺中氏「会場の人から回収した質問票からいくつか選んで、これを質疑応答とさせてもらう。また水谷さんが書いた本「中国を追われたウイグル人」にも詳しく書かれているので、いろいろな疑問がこの本を読むことで解決されるのではないかと思う。これまでアムネスティもウイグル人の人権問題について行動してきた。大きな問題として、日本でも東大大学院生のトフティ・トゥニヤズ氏が歴史研究のために中国に資料集めに帰ったところを逮捕されるという事件があった。このように中国の人権問題は遠い他所の国の話ではなく、身近な問題でもある。」

Q. ウイグル人の人口などのデータについて。
A. 水谷氏「中国の公式なデータでは、新疆ウイグル自治区内で約900万人。1955年に自治区として成立したが、50年代に30万人程度であった漢人の人口は、中国の移住政策によって1999年には687万人まで増えている。2000年以降のデータが手元にないが、西部大開発などでさらに増加しているだろう。」

Q. ウイグル女性の就職斡旋などについて。
A. ラビア氏「中国政府は58年かけて弾圧を行ってきたが、ウイグル人という民族や文化を消すことができなかった。そこで同化政策の一環として、2006年から就職を斡旋するという口実で16歳から25歳の未婚の女性を強制的に移住させるようになった。2006年6月から各地に『就職斡旋所』をつくり、若く美しい16歳から25歳までの未婚女性という条件で移住させていた。しかし該当女性が減ってから次第に条件を緩くし、美しくなくても、16歳以下でも移住させるというようになっていった。例えば2006年まででカシュガル地区だけでも24万人の女性が強制移住させられている。一家で一人、就職斡旋所に行くようノルマが課せられた。新疆ウイグル自治区は資源も豊かにあるし、多くの就職先があるはずなのに、何故中国の他の地域に行って働かなければならないのか。娘を出さなかった親は土地を追われたり、罰金や2週間の拘束など、刑罰が加えられている。この女性の強制移住は、結婚相手を減らして漢族と通婚するように仕向ける、民族同化政策であると考えられる。我々はこの事実を世界中に伝えており、アメリカは既にこの問題を国会で取り上げている。」

Q. 同化政策や宗教政策はどのようなことが行われているのか。
A. ラビア氏「2003年から、7~15歳の子供達を内地の学校に移住させ『新疆班』というものを作って、中国の教育を受けさせて洗脳し、同化しようとしている。既に全国で58のクラスで1万人の子供達が勉強させられているが、政府はこれを5万人に増やすと計画しているそうである。中国人であると洗脳し、言語的に同化する政策であると考えている。今までは新疆でも、子供を2つの言語、中国語とウイグル語で教育するということになっていたのだが、今では小学一年から大学まで中国語で教育させられている。大学でも、今まで数十年も教えてきたような教授らが、中国語ができないという理由で教職から追放され、同じ大学の清掃員や警備員をしている始末である。ウイグル人学生が理解できるかどうかに関わらず、中国語による教育が行われている。ウイグル人は野蛮な民族などではなく文化的な民族であり、自分達の文字、文化、歴史、自分達の国を作ってきた民族である。しかし、その自分達の文化や文字、文学も失われつつあり、文化的な同化も進んでいる。
キリスト教、イスラム教、仏教など全ての宗教は人間に信念を与える重要なものである。しかし新疆では18歳以下のムスリムはモスクに行くことができない。もし宗教学校に子供を入れると、その親は逮捕され、指導者は場合によっては処刑される。またラマダン(断食月)には、仕事や学校が始まる前に、その入り口前で食べ物や飲み物を食べさせ、食べなければ中に入れないというようこともしている。モスクの宗教指導者は子供達に対して、『良い子になるように、親の言うことを聞くように、社会に貢献するように。』と指導していたのだが、このような指導者は国家分離主義者、テロリストとして刑務所に入れられた。そしてその代わりに来たのは共産党の教育を受け、信者に対して共産党のために働くよう指導するような宗教指導者であった。」

Q. 世界ウイグル会議は具体的にどのようなことをしているのか。
A. ラビア氏「世界のウイグル人を団結させ、ウイグル人の境遇が改善させるよう働きかけていくものである。個別に動いていた世界の49のウイグル団体が、私の出所後にまとまったものである。ウイグル人に人権と自由が与えられるよう世界に訴え、平和的に戦うものである。本部はドイツのミュンヘンにある。」
水谷氏「90年代には中央アジアにいるウイグル人からの援助などもあり、新疆内で武装闘争も辞さないという団体が存在していた。しかしSCOによる囲い込みもあり、また武装闘争だけでは独立する前に自分達ウイグル人が絶滅してしまうのではないかと恐れを持つようになった。このようなことから、武装闘争よりも、むしろウイグル人の置かれている現状を世界に知らせ、平和的にやっていくほうが得策であるとし、過去の路線を捨てている団体が増えている。そのような団体の中にも、何か事があればと覚悟を決めてはいるものの、現段階では武装闘争は行うべきでないという人々がいる。未だに武装闘争路線を前面に出している団体は世界ウイグル会議の中にはいないと把握している。」

Q. アメリカの態度はどうか。
A. ラビア氏「欧米の支援によって世界ウイグル会議は今の活動が成り立っている。アメリカの国会では、ウイグル人権問題の公聴会が6回もたれた。外郭団体である民主普及基金が資金的に援助してくれている。また私の子供達やカナダのフセイン・ジェリル氏を解放するよう、ウイグル人権問題の改善を求める国会決議案も出されている。アメリカは中国の人権問題については強い不快感を示しており、国会議事案も提出されている。ヨーロッパでも同様であり、積極的に支援してくれている。日本にも期待したい。日本は世界的に強い民主国家であり、日本政府は国策としてウイグル問題を扱い、中国にウイグル人の人権改善を働きかけてもらいたい。また中央アジアの独裁国に対して、ウイグルの人権問題に加担しないように働きかけてもらいたい。」

Q. グアンタナモのウイグル人が拘束されたのは何故か。
A. ラビア氏「中国は中央アジアのウイグル団体をテロリストに仕立て上げようとした。そのためパキスタンに逃げ込んだウイグル人22人がパキスタン政府によってアメリカに引き渡され、アメリカはこれはグアンタナモに移した。6年間無実の人が拘束されたのは不幸なことであるが、ある意味で幸運であったともいえる。それは中国ではなくアメリカに渡されたということである。もし中国に引き渡されていれば処刑されていただろうから。中国ではウイグル人に対して公平な裁判が行われることは無い。私はアメリカの裁判を傍聴し、こんなに公平な裁判があるものかと驚いた。『何故無実の人を数年間も不当に拘束したのか。』という弁護士の政府に対する非難に私は涙した。グアンタナモにウイグル人が入ったということは、中国にとってウイグル団体はテロリストであるという口実を作ることになった。無実と分かって、そのうちの5人はアルバニアに移されたが、他の無実の人は中国政府の圧力によって受け入れ国が現れていない。私は先日スイスのジュネーブに行ったが、我々もアメリカと共に、この無実の人々を受け入れてくれる国が現れるよう働きかけている。」
寺内氏「グアンタナモのウイグル人のことについて語って頂いたが、グアンタナモで拘束されている人々の大多数は未だに裁判すら受けていない状況である。確かに裁判にかけられれば、しっかりとした司法手続きがあるのだが、残りの数百名はまだ裁判にすらかけられていない。そのような中での話であるということを承知しておいて欲しい。」
水谷氏「私はグアンタナモからアルバニアに移送された5人のウイグル人にインタビューを行った。その内容は本に書いているが、5人のうち2人はイリ事件にデモに関連があったとして政治亡命した人、経済難民が2人、学生でうろうろしていたら捕まったというのが1人である。あとの17人に関しては私は分からない。」
寺内氏「3人のイギリス国籍の人がアフガニスタンでうろうろしてつかまったというように、これと似たようなケースがある。こういったことがアメリカのダブルスタンダードであると考えている。」

Q. 2008年のオリンピックに関連し、中国国内では人権の改善が見られるが、ウイグル人に対しての影響はあるか。
A. ラビア氏「オリンピック開催1年前という段階になってから、100日間という期間をもって厳しい取締りの期間をウイグル人に対して行った。自治体や学校、地域、家族でお互いに監視し、告発するようキャンペーンを展開した。これによって兄弟や友人、隣人同士でお互いに本心を話すことができなくなってしまった。今年の5月からはウイグル人の全てのパスポートが回収されるようになった。21世紀のこの時に、ウイグル人以上に弾圧されている民族が、この地球上にいるとは私は信じることができない。もし中国がオリンピック開催によってウイグル人の人権改善を考えているのなら、このようなことは絶対にしないだろう。中国がオリンピックを成功させたなら、われわれのような少数民族は一層弾圧されるだろう。ウイグル人女性の内地への移住も、オリンピックに備えた政策の一環である。」
寺内「アムネスティでも北京オリンピック開催にあたって人権問題の解決を訴えている。」

Q. ラビア氏は刑務所の中で酷い体験をしてきたが、それを乗り越えるためには何が支えとなったのか。
A. ラビア氏「ウイグル人達の自分への期待である。私は生きて刑務所を出なければならない、この民族を救わなければならない、という使命感である。」

寺内「他にも多くの質問が寄せられたが、時間の関係で取り上げることができなかった。ラビアさんの子供達、また多くのウイグル人が獄中におり、ウイグル人に対しての弾圧も行われているところである。アムネスティとしてもアクションを起こしていくが、ここに来ている方々もアクションに答えて頂き、東トルキスタン問題に対しての関心を高めていってもらいたい。」

5.アムネスティからのアピール/終了 bookmark

中国政府に対してのウイグル人の人権改善のアクションと、ウイグル人亡命者が滞在している国に対して強制送還をしないよう求めるアクションの葉書を配布しているので協力して欲しい。
これから数箇所で講演会を行うが、これらは皆からの寄付によって行われる。またウイグル人だけでなく、世界中で行われている人権問題についてもアムネスティは取り組んでいる。


 

レポーターの感想 bookmark

アムネスティ・インターナショナル主催により、全国9箇所でラビアさんの講演会が予定されています。その最初の講演が11月10日15時30分から18時まで、東京新宿ハーモニックホールで行われました。収容人数154人の会場でしたが、座りきれずに立っている人もいるほど大勢の方が参加されていました。若い人が大勢来ており、東トルキスタン問題への関心の高さが伺えました。
ラビアさんの迫力ある講演によって、ウイグル人が置かれている現状が良く伝わったのではないでしょうか。
会場では録画、録音、撮影は一切禁止されました。この講演会への参加者が撮影されれば、その人に危険が及ぶかもしれないという配慮のためです。僕も東京講演の1週間ほど前に、僕のウイグル人の友人で講演会に参加できない人のために、録画したいと申し出ましたが、こういう理由で許可が得られませんでした。一人にビデオ撮影を許可したら収集がつかなくなるから理解して欲しい、と丁寧な説明を頂き感謝しています。
東京講演には大勢来るだろうと予想していましたが、予想以上の人数と、若い人の多さに驚きました。これから行われる他の場所での講演会も、大勢の方が参加してくれるよう願っています。


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